空気に関する地球環境問題
水質に関する地球環境問題
地面に関する地球環境問題
生物に関する地球環境問題
環境用語一覧

ハンフォード・サイト

ハンフォード・サイトとは?

ハンフォード・サイト(英語: the Hanford Site)は米国ワシントン州東南部にある場所で、原子爆弾作成のマンハッタン計画でプルトニウムの精製が行われた所。その後の冷戦期間にも精製作業は続けられ、現在はこの作業は行われていないが、米国で最大級の核廃棄物の問題を残しており、その処理が継続されている。

地理

ハンフォード・サイトは1,518平方キロメートルに及ぶ広大な土地で、ワシントン州の東南部にあり、コロンビア川がほぼ北から南へ流れる(そのあと東から西へ流れるように向きを変える)ところで、ヤキマ川にも囲まれたところにあり、一番近くの町はリッチランド(Richland)になる。年間の降雨量は少なく、乾燥地で、砂漠に近い地理である。

これまでの歴史

ここはコロンビア川、スネーク川、ヤキマ川の合流点に当たり、伝統的にインディアンの諸種族が出会う地点であった。1860年代に、ヨーロッパ人・アメリカ人が入植を始め、リッチランドなどの町が作られた。

マンハッタン計画

第二次世界大戦中に原子爆弾を作成するマンハッタン計画が進められ、1942年にハンフォード・サイトがプルトニウムの精製場所として選ばれ、アメリカ陸軍工兵司令部はデュポン社と契約して、ハンフォード・サイトの核施設の建設を進めた。ハンフォードと近くの村から、1500世帯が転地させられたという。

1943年にHanford Engineer Works(HEW)の実際の建設が開始されて、一時は5万人の人々がハンフォード・サイトで働いた。1945年8月に第二次大戦が終わるまでに、3基の原子炉(105-B、105-D、105-F)、3基のプルトニウム処理施設(221-T、221-B、221-U、各250メートル)が完成している。ここで作られた原料から最初のプルトニウム型原子爆弾がロスアラモス研究所(当時は、サイトYと呼ばれた。)で製造され、ニューメキシコ州、アラモゴード爆撃試験場での核実験に使われた(トリニティ実験)。その後に長崎で実戦使用された。(長崎市への原子爆弾投下)

冷戦中の拡張

1946年、ハンフォード・サイトはアメリカ原子力委員会管理下でゼネラル・エレクトリック社が実務を行なうことになり、第二次大戦後に始まった冷戦の最中に、ソ連の核兵器に対抗すべくさらに拡張が図られた。1963年には、9基の原子炉がコロンビア川沿いに配置され、5基の処理施設が中央高原部分に、全部で900棟のビルがあるような巨大な施設になった。その後、1964年から1970年にかけて、徐々に活動を停止している。

環境破壊問題

現在、ハンフォード・サイトは米国で最大級の核廃棄物問題の箇所になっており、ワシントン州環境部・米国エネルギー省・米国環境保護庁の3者でクリーンアップが進められている。近年廃棄物処理状況を一般が見られるビジター・センターもできたが、近くにインディアン居留地もあり、そこの主食であるコロンビア川の魚類への影響も心配される。アメリカ政府は毎年多大な出費を迫られていて、また、汚染物質が地下水へ到達し、コロンビア川に流出することが懸念されている。

浄化の時代

1988年6月25日、ハンフォード・サイトは4つの区域に分割され、米国全国浄化優先順位リスト(英語版)に記載するよう提案された。1989年5月15日にワシントン環境庁(英語版)、アメリカ合衆国環境保護庁、エネルギー庁の三者が合意し、ハンフォードの環境除染のための法的枠組みを提供した。これらの組織は現在世界最大の環境除染に取り組んでおり、技術、政治、規制、文化の各方面からの課題を解くことを目指している。この浄化プロジェクトが目標とするのは、コロンビア川支流の復活、中央台地を長期廃棄物処理保管施設にすること、将来への準備の三つである。浄化プロジェクトは二つの規制団体の監視のもと、エネルギー庁が管理している。自治体、州政府、地域内環境組織、産業界、アメリカ先住民など利害関係者からの提案を市民主導のハンフォード顧問委員会が提示している。近年では連邦政府が年間20億ドルをハンフォードプロジェクトに費やしている。1万1000人が固定化、浄化、廃棄物の移設、建築物の除染、土壌の除染に従事している。当初30年以内に完了するとされた浄化計画のうち2008年時点で終わっていたのは半分未満だった。浄化の結果、1989年10月4日にSuperfund(英語版)に列挙された4つの区域のうち、ひとつのみが一覧から除去されている。

ここでクリア